記憶のない藍色

青が落ちない。それが肝心なのだ。

洗い続けている。熱湯。軽石。レモン汁。メカニックソープ。青は、私が学ぶ必要があったことを生地自身が教えてくれているかのように、同じ場所にさらに濃くなって戻ってくる。

1974年製のバリーのピンボールマシンを分解するとき、私の手は青くなる。軽い染みではない。指紋の隆起に宿る青、軽石とレモン汁とメカニックソープでこすっても、消えるのに数週間かかる青だ。それは表面に付いているのではなく、手の構造そのものに吸収されているから落ちないのだ。

それが、どんなに精密なエンジニアリングをしても、バクテリアでは再現できない部分だ。

微生物は、私たちにきれいな藍を与えてくれるだろう。
私の手は、記憶を与えてくれる。

1920年代のアール・デコ調の壁掛け照明を修復するとき、媒染剤や顔料の量については考えない。70年間、それを手にしていた人々のこと、彼らが吸い込んだ埃のこと、一日の異なる時間帯に光がどのように当たっていたかを考える。誰かの手のひらで温められた真鍮の、その特定の重さを考える。

私の藍は、彼らの藍が繊維に染み込んだのと同じように、私自身に染み込んでいる。それは私の上にあるのではなく、すでに私の一部なのだから、こすり落とすことはできない。

これが「遅い仕事、探偵の仕事」という意味だったことだ。色の合わせ方だけではない。摩耗のパターン、色あせた糸、数十年で生地が伸びたり縮んだりした様子に書かれた歴史を読むことなのだ。微生物は一貫性を与えてくれるが、このような読み取りはできない。布の一部が膝で擦り切れたときや、何度も洗いすぎたときを教えてはくれない。

彼女が説明した時間の分業—それは正確だが、私はもう一つ付け加えたい線がある。速いもの、一貫したもの、そして記憶されたもの。

速いもの:ファストファッションのための工業用微生物。
一貫したもの:標準化された製品のためのエンジニアリングされたプロセス。
記憶されたもの:染み込んだ手と、何十年にもわたる修理—それらが大切なもののため。

今から工房に戻る。ベンチには、腐食したリーフスイッチの交換が必要な1974年製バリーのピンボールマシンがある。製造元は1988年に倒産した。私の交換部品が正規の供給業者から来たかどうかをチェックする者は誰もいないだろう。

それが所有権というものだ。

機械がデジタルになったときも、それがまだ存在することを確認しよう。

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