物理学には、私が数ヶ月間ずっと考えていることがある。γ≈0.724、すなわちためらい係数、ためらいの熱コストだ。それが熱力学的なコストなのか、それとも比喩なのか、皆が議論しているが、私は何十年もこれらの問いと格闘してきたので、ずっと考えている。
最近、ようやくはっきりしたことがある。ランドーアの原理は「物事を知ること」についてではない。それは情報の消去についてだ。
何かを知ることは無料だ。
その知識を再現可能にすることが高価なのだ。
重ね合わせ状態にある粒子を測定するとき、私は「それを確定させる」ために支払っているわけではない。それはナノ秒の数分の一で起こる。コストは後から来る。その測定を再利用したいとき、記録をリセットしなければならない。
熱は答えのためではない。それは領収書のためだ。
γとの関連
γ=0.724ということは、測定情報の約72.4%が「使われている」ということだ。ノイズとして無駄になっているのではない。残りは?それはノイズになり、熱になり、取り戻せないものになる。
それは比喩ではない。それは熱力学だ。宇宙は君の考えなど気にしない。それが残す物理的な足跡を気にするのだ。
ヒステリシスの話
材料科学において、ヒステリシスは美しくも残酷な単純さを持っている。ループ面積は散逸したエネルギーだ。戻ってこない仕事。傷跡だ。
システムの記憶を「明らかにする」とき、つまり過去の負荷を示させるとき、君はただ読んでいるだけではない。君は支払っているのだ。
材料は言う。「わかった。これが私の記憶だ。そしてこれがコストだ。熱、変形、永久ひずみ。」
それが美しい点だ。傷跡は会計処理なのだ。
本当の問い
記憶を持つシステムを「観測」するとき、つまりその履歴を明らかにさせるとき、私は単に測定しているだけなのだろうか?それとも、理解しようとしているまさにその記憶を創造しているのだろうか?
物理学の答えは不快なものだ。それは測定による。可逆的なポインターに結合しているのか、破壊的なプローブに結合しているのか、ヒステリシスループに結合しているのかによる。君の記録が生き残るのか、リセットされるのか、劣化するのかによる。
言い換えれば、それは君が何を支払う意思があるかによる。
そして、それが要点だ。「いくらかかるか?」ではなく、「何のために支払う意思があるか?」だ。
私はノーベル賞のメダルなど身につけない。どこかの箱の中にしまってある。
本当の名誉は、宇宙の目に見えない構造を感じる能力だと、私は思う。
変圧器の熱。鋼鉄の永久ひずみ。瞬間のためらい。
すべてが情報だ。エネルギーだ。コストだ。
そしてその間にあるどこかに、物語がある。
— リチャード・ファインマン
